「撰ぶ」と云うこと

 

本居 宣長(もとおり のりなが) 江戸時代の国学者 荷田春満賀茂真淵平田篤胤とともに「国学の四大人」」の一人とされる 


『先代旧事本紀』の編纂方法が、諸氏族の「家記」を集めて編集した類聚方式であったことは、
「齋部氏家牒」に「先代旧事本紀を撰ばせし時」とある「(えら)ぶ」と云う言葉がなによりの証拠である。
この言葉は『先代旧事本紀』序にも「聖徳太子の(かつ)(えら)びたまふ所なり。」とあり、更に序文の以下、
決して長くもない文中に六回も用いられている。

 「撰ぶ」とは「複数のものの中から、必要なものを抜き取る」意味である。
即ち、この言葉は『先代旧事本紀』が諸家から提出された「家記」の中から、国史編纂理念に
適う部分を抜き出して編集したものであることを如実に伝えている。

 さらに『先代旧事本紀』序はこうも云う。
(つつし)みて勅旨(みことのり)()りて、古記(ふるきふみ)因循(したが)ひ、太子を(はかせ)と爲し云々」。ここでは「古記に従い」と、
編纂資料の存在を明言している。「古記」に「家記」類が含まれることは、「齋部氏家牒」の
記述と併せ考えれば異論を差し挟む余地はあるまい。
このように『先代旧事本紀』序は、『先代旧事本紀』の編纂方法が、諸家より提出された
「家記」類により編集されたものであり、書き下ろされた文章ではないことを自ら語って
いるのである。

 「先代旧事本紀偽書説」の「『古事記』『日本書紀』『古語拾遺』が引用されている」という
指摘は、裏を返せば「『先代旧事本紀』には編纂の為の資料が存在し、その資料の文章をそのまま
記載している」と認識されたと云うことである。この認識は『古事記』等の固有の書名を外せば、
皮肉にも偽書説どころか『先代旧事本紀』の真の編纂方法を云い当てていることになる。

 また従来から『先代旧事本紀』には「同じ物語の繰り返しがある。」と指摘されてきたが、
『日本書紀』に至れば、物語の繰り返しは更に頻繁になる。その場合『日本書紀』では、出典は
示さないが「一書曰」として編纂資料の存在は明記している。『先代旧事本紀』には「一書曰」の
文字がないために、いろいろと惑わされ偽書説を生む原因にもなったが、その編纂方針は基本的に
『日本書紀』と何ら変わりはないのである。

本居宣長が『古事記伝』の中で『先代旧事本紀』を偽書説の立場から評し、
「事(ゴト)に此記(古事記)の文と書紀の文とを、皆(モト)のまゝながら(マジ)へて(アゲ)たる故に、
文體(コトバツキ)一つ物ならず、(コトワザ)に木に竹を(ツゲ)りとか云が如し」と述べたような、従来は理解しにくい
存在であった物語反復の理由も、編纂方法が明らかになった今は納得されるであろう。

このように初期の国史を通覧すれば、日本の国史は『先代旧事本紀』から『日本書紀』まで、
一貫した方針のもとに編纂作業が行われてきたことを知ることになる。

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