「紀伝体」で伝えられた日本古代史

続日本紀

史書の記述形式には「紀伝体」形式と「編年体」形式とがある。「編年体」とは、一つの歴史を
古い年代から歴年に従って順次記述する方法であるから、原則として同じ時代が繰り返されることは
ない。現代出版の歴史書はほとんどがこの形式によっている。

一方、「紀伝体」は、帝王や将軍ごとにまとめられた歴史を繋ぎ合わせて編集する形式である。
従って、同時代の帝王や将軍の事蹟が記録される場合は、同じ時代が繰り返し描かれることになる。
中国の史書で云えば、『三国志』は「魏志」「蜀志」「呉志」の三つの「志」より成り立っている。
しかし「志」がこのような順序で配列されていても、それを最初に「魏」が興亡し、次に「蜀」が
興亡し、最後に「呉」が興ったのだと云う国家統治の順番として解釈する者はいない。
この三国は、ほぼ同時代に成立して互いに覇権を争った間柄である。二次元書物は、三つの「志」を
並列に記載することは出来ないから、直列に記載せざるを得ない。これが「紀伝体」形式なのである。
だから一つの歴史を「紀伝体」と「編年体」とで編纂すれば、史書として記述される事蹟の
記載順序が一致することはない。

ところで、日本の勅撰史書「六国史」は、最初に編纂された『日本書紀』の初代「神武天皇」以来
平安時代まで、一貫した「紀年」(「記紀紀年」と云う)が降られている。このため近世以来の
学者達は『日本書紀』が「編年体」形式の史書であると信じ、誰一人として疑いを持たなかった。
史書が伝えられたにもかかわらず、未だに日本の古代史を解明できない最大の原因がここにある。
しかし実は日本の古代史は、飛鳥時代以来「紀伝体」で伝えられて来たのである。

*「六国史」とは古事記、日本書紀、続日本紀、日本後記、続日本後記、日本文徳天皇実録、
日本三代実録等の国史のうち、日本書紀以下を総称したものである。

日本文徳天皇実録 : 六国史の第五にあたり、文徳天皇の代である嘉祥3年(850年)から天安2年(858年)までの8年間を扱う         
第55代 文徳天皇                                                         

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