「紀伝体」的記述手法とその見極め

「紀伝体」的記述手法

司馬遷によって編纂された中国の歴史書「史記」 紀伝体で記された 初めての歴史書といわれる
 最初に紀伝体で書かれた史書 「史記」

 

 中国史書に於ける「紀伝体」の意味は、独立した歴史記述である「本紀」や「列伝」を配列した史書形式を云う。従って「紀伝体」史書の歴時は、各「本紀」や「列伝」毎に同じ歴時が繰り返し現れることになる。

 このように「紀伝体」本来の意味は史書形式を云うのであるが、ここで大切なことは「紀伝体」の歴史記述では「同じ歴時が繰り返し現れる」ということにある。もし『先代旧事本紀』の編纂が諸家の「家記」を配列編集したもので、その各々の「家記」の歴時が同時代のものであったなら、「紀伝体」のような同じ歴時の繰り返しが発生することになる。それは中国史書では「本紀」や「列伝」ごとに発生していたものが、日本の史書では一つの「本紀」内でも発生するのである。

 それは類聚編纂方式では当然起こり得る現象であるが、拙論では、以下このような「本紀」内での歴時の繰り返し記述も含めて「紀伝体的記述手法」と呼ぶことにする。この「紀伝体的記述手法」の認識と見極めこそが、日本の史書の史実歴年解明のカギを握るものである。

司馬遷 中国前漢時代の歴史家 太初暦の制定や通史「史記」の執筆などの業績がある

「紀伝体的記述手法」の見極め

 日本の史書の「紀伝体的記述手法」では、「歴時の繰り返し」が二つの要因により発生する。その一つは「本紀」毎に発生する反復で、これは「紀伝体」と云う中国史書の形式に由来するものである。二つ目は、諸家の「家記」類をそのまま活用し類聚形式で編集したことにより発生する「本紀」内での物語の反復である。

 どちらの場合でも物語や事蹟の反復の認識は、紀年が降られていたり、反復する物語に登場する神や人物の名前が同じであれば容易である。ところが日本の史書では、先ず「記紀紀年」が史実かどうかという問題がある。また物語の中には、あるいは同一事件を記録したものかと感じられる記述もあるが、その場合は物語に登場する神・人名が異なっているため、従来はそれを同一事件の記述と断定する決め手がなかった。

 諸氏族は皆それぞれに「家記」を所持していたが、その「家記」記録の中で最も重要であったのは氏族発祥の祖先神の伝承であろう。氏族制度の社会では、血統の貴賎により身分・地位が自ずから定められるのである。祖先神の重要さは、後の時代にあっても、祖先神のための神社祭祀機構が「神祇官」と云う日本独特の官庁として律令制に組み込まれたことからも明らかである。

 ところがこのような諸氏族の祖先神伝承では、(現代人から見れば)厄介なことに、己の家の祖神名を伝えるのに、(その祖神が同一神であるにもかかわらず)諸家それぞれが独自の神名で伝えて来たらしい。これが「異名同神・人」の生まれた原因であったと思われる。「大己貴神」が数名の神名を持ったり、神名の註に「亦名・亦云」等と表されるものの多くは、この氏族伝承の非統一に起因するものと考えられる。諸家の「家記」には、当然この非統一の神名が記録されているのであり、その「家記」をそのまま活用して撰録したものが古代国史なのである。

 古代と現代の社会的営みを同一視してはならない。古代の人々の辞書には「標準化」と云う言葉は恐らく無かったであろう。国家統治のための一応の「標準化」は律令の制定を待たなければならなかったのである。

 従って、史書から史実を紡ぎだすためには、まず「異名同神・人」の統一から始めなければならない。「紀伝体的記述」の見極めは「異名同神・人」統一が出来て初めて可能となる。古代国史の根底には、「異名同神・人」が統一された「基本神名・人名」と云うべき神・人の血統的体系(拙論ではそれを「基本系図」と呼ぶ)が存在しており、その体系を明らかにすることが出来れば史実も姿を現すと云う仕組みになっているのである。

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