『まぼろしの邪馬台国』の遺産(1)

 
拙著『日本古代史の実像』は、「『まぼろしの邪馬台国』の続編と云うべきもの」を惹句に用いさせて
いただいている。

宮崎康平氏「まぼろしの邪馬台国」  半世紀近い時を経て表紙も琥珀色に




御存じのように『まぼろしの邪馬台国』は、宮崎康平氏により昭和四十二年に出版され、「邪馬台国ブーム」を巻き起こす発端となった名著である。『まぼろしの邪馬台国』には、古代史解明のための、二つの新しい手法が提示されている。拙論はその新手法の研究を更に深め、史実の古代史に迫ろうと試みたものである。

宮崎氏が提示された新手法の一つは、「古代倭語」(「上代語」以前の日本語)による古文献解読の研究である。この研究成果により宮崎氏は、『魏志倭人伝』記載の「使訳所通三十国」の所在地を、すべて比定し得たの
であった。

 魏志倭人伝 記載「使訳所通三十国部分抜粋



宮崎氏はその著書の中で、「古事記や日本書紀はめくらのために書かれたようなもの」と述べておられるが、
この言葉には古代史を解読するための重要な示唆が込められている。

宮崎氏は、後半生を失明の中で古代史研究をなされておられた。それ故、その著書に拠れば、氏の読書は奥様の音読による耳からの聴読であったと云う。それはまさに『古事記』の撰録に係わった、彼の「稗田阿礼」の口述とそれを筆録した「太安萬侶」の関係を彷彿とさせるが、それはともかくとして、その聴読という読書が、
宮崎氏に「記紀を理解するのに文字の意味は必要ない」ことを気付かせたのであろう。

我々「めあき」が漢字を見た場合は、漢字の「読み(音訓)」と「語意」とを同時に把握する。それは漢字という文字が「表意文字」であるが故で、漢字を学習する場合には「音訓」と「語意」を同時に覚える訓練をするから、漢字を見れば無意識に意味を連想する習慣が身に染み付いている。

しかし、宮崎氏の場合は「漢字を見て意味を連想する」過程を絶たれてしまい、漢字の「音」からのみ意味を考えざるを得ない環境に置かれたのであった。そんな読書体験により、「漢字を見れば語意を連想する」と云う無意識の習性に付け込んで、史実伝承のための「仕掛け」を施してあるのが古代史書の文章であることに気付かれたのであろう。即ち、記紀の文章を解読するためには、そこに書かれた仮名文字の「音訓」だけが必要なのであり、文字の意味はまったく必要ないのだと。

例えば、神話の国や神々の名前の意味を現今の記紀注釈書では、「高天原」は「天上界」、「天照大神」は「太陽神」、「月讀命」は「月神」のように解説する。この解釈は漢字の意味に基づく解読法である。(拙論ではこれを「字義訓釈法」と呼ぶ。)このような解読例は、既に平安時代の『日本書紀』講書の「私記」に見られるもので、そこでは「国狭(クニノサ)(ツチ)尊は、天地開闢の後、未だ土地が広くなかった時に生まれた神」、「土地が未だ乾いていなかった時に生まれた神を泥土(ウヒチ)()尊と云い、その後土地が(やや)乾いた時に生まれた神を沙土(スヒチ)()尊と云う」等と説かれている。この神名解釈は紛れもない「字義訓釈法」であるが、それは『日本書紀』の講書が始まった奈良時代以来の由緒正しいものであるから、近世以降現在でも、唯一無二の訓釈法として何の疑問を持たれることなく行われてきたものである。しかし、宮崎氏は「聴読」と云う体験から、記紀に記された古語を「字義訓釈」するこのような訓釈法に疑問を感じたのではなかろうか。

日本最初の国史『先代旧事本紀』が記定されたのは飛鳥時代である。従って、『先代旧事本紀』やそれ以降の奈良時代に編纂された史書が用いる言葉は、国語学で「上代語」(飛鳥時代から奈良時代まで用いられた言葉と定義される)と呼ばれるものである。(講書の「私記」の訓釈も当然「上代語」及びそれ以降の言葉に拠っているはずである。)しかし、国史が記録する歴史伝承は、飛鳥時代より数百年以前に遡るものである。そうであるなら、それらの伝承の中には「上代語」以前の言葉、所謂「古代倭語」が含まれる可能性を排除することは出来ないのではなかろうか。

おそらく宮崎氏はそのような発想から、記紀の神名などの固有名詞が「古代倭語」(『まぼろしの邪馬台国』では「音表」と表現する)で書かれていることを想定し、その研究成果が『魏志倭人伝』記載「使訳所通三十国」の所在地比定に結実したのである。そして更に、その研究成果は記紀記述の解明に向かうはずであったが、残念ながら宮崎氏は急逝されてしまわれた。

現在の国語学では、確認できる最古の日本語を「上代語」とする。従って当然のことながら「上代語」以前の時代の言葉を収録した古語辞典は存在しない。

そこで拙論では、「古代倭語」の研究を更に深めるために、すべての「万葉仮名」の「音訓」を精査・分類し、記紀が用いる言葉の「音韻体系」を確定させた。(この「音韻体系」は『魏志倭人伝』記載の「倭語」にも適用が可能であることが確認できたので、拙論ではそれを「古代倭語」と呼ぶことにしたのである。)その上で、『まぼろしの邪馬台国』の「音表解釈」研究の導きにより、その「音韻体系」に対応する「古代倭語」の「語意」も確定することが出来たのである。

(但し拙論は古代史研究であるから、拙論が述べる「古代倭語」は「上代語」以前の言葉の全容を解明したものではない。今でもほとんど手掛りの無い飛鳥時代以前の言葉の解明を、個人の力だけで、しかも三十年足らずで出来ようはずもない。従って拙論の「古代倭語」研究は、記紀解読に必要な神話の神々の神名や人名、あるいは国名や地名などの固有名詞と、それに係わるいくらかの言葉を扱っているに過ぎない。その「古代倭語」研究の結果については、この場ですべてを述べる紙面は無いので、拙著『日本古代史の実像』の「古代倭語の研究」項を参照願いたい。)

先に述べたように、古代史書の文章は「上代語」で書かれているから、神話の神々の神名も「私記」のように「上代語」で解することは出来る。しかし、史実の意味は、「上代語」で書かれた漢字仮名の「音訓」に潜められた「古代倭語」で語られているのである。それは所謂「掛け言葉」のようにして、一つの神名の中で両立させてある。例えば、「天」(あま)の意味は「上代語」では「天上」であるが、史実の「あま」は、「アマ」という音が表す「古代倭語」として解さなければならないと云うことである。

史実の古代史が「古代倭語」により、このような仕組みで書かれているとしたら、従来の「上代語」による「字義訓釈」では史実を明らかにすることは出来ないのであって、神名等の「字音」で表された「古代倭語」の方の「語意」で解釈しなければならないのである。

拙論ではこの「字音」による「語意」変換を「音義訓釈」と呼ぶが(それは『まぼろしの邪馬台国』が「音表解釈」と表現したものに当たる)、その「音義訓釈」に用いられる「語意」は、神名等に用いられた仮名の「音訓」を、拙著『日本古代史の実像』の「古代倭語の研究」項で示した「古代倭語語意一覧表」と対照することにより得ることが出来る。

 このようにして神話の神々の神名を「音義訓釈」してみると、それらの神名は、本来は『魏志倭人伝』の小国名のような古代の地名に因むものであったことが明らかになってきた。もしそうであるなら、神々の名前を日本列島上の古地名に比定することができれば、畿内大和説・九州説で二分された大和王権発祥地論争に終止符を打つことが出来ることになろう。

 

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