『まぼろしの邪馬台国』の遺産(2)

『まぼろしの邪馬台国』が提示した古代史解明のための新手法の二つ目は、記紀の「重層記述」を発見されたことによる、記紀記述の新しい解読法である。

『まぼろしの邪馬台国』には次のような記述がある。

 邇邇藝(ににぎの)(みこと)の天降りコースと、景行天皇の九州西部の征討の順路と倭建命の物語の内容を詳細に分析してみると、まったく一致することである。ある日私は、この三者をモンタージュ写真を作るようにして考えてみた。」

 「倭建命こそ景行天皇であり、邇邇藝命に擬せられる。」

「忍穂耳命=垂仁天皇となる。」

熊襲を討つ日本武尊 
(くまそを討つヤマトタケルノミコト)

邇邇藝命(ニニギノミコト) 
第12代天皇 景行天皇 (在位景行天皇元年7月11日~同60年11月7日)



即ち、記紀の記述の中には、一つの事件が神話(神代)の物語と天皇の御代(皇代)の事蹟として、異名により二重・三重に記述されている場合があることに気付かれたのである。

(『まぼろしの邪馬台国』が発表されて以来、既に半世紀以上の歳月が経過した。しかし、それ以来現在に至るまで、従来からの「編年体」的記紀解釈を覆すこの新しい解読法の正しさを評価する研究者が、誰ひとりとして現れないのは一体なぜなのであろうか。)

拙論では、この「物語の重層記述」と云う指摘に触発され、史書としてそのような記述が成立するものかどうか、その可能性を追究してみたのである。その結果、『先代旧事本紀』が「紀伝体」で書かれた史書であったことを突き止めることが出来た。要するに、同じ歴時を繰り返し記述する史書形式とは「紀伝体」書式なのである。(従って、『先代旧事本紀』と物語の配列が基本的に等しい記紀も、当然、本来は「紀伝体」形式で書かれた史書のはずである。)

記紀の重層記述が「紀伝体」の書式に起因するものであることを、宮崎氏が認識されておられたかどうかは定かでないが、このようにして拙論では、宮崎氏の示された新しい解読手法が誤りでないことを立証することが出来たのである。

そして、更にこの「重層記述」の研究を進めてみると、国史の「重層記述」は単に「物語が繰り返される」と云うような単純なものではなく、種々の重層の仕組みが組み合わされた、複雑な「重層構造」として成り立っていることも明らかになってきた。

例えば、当項で始めに掲げた『まぼろしの邪馬台国』の記述も、「事件の繰り返し記述」と「異名同神・人」と云う二つの重層記述が組み合わされた構造となっている。

前項の『まぼろしの邪馬台国』の遺産(1)で述べた、「古代倭語」を「上代語」の中で両立させる「掛け言葉」的仕組みもその「重層構造」の一つである。

これらの「重層構造」が発生する要因については、当ブログの中ですでに度々述べて来たものもあるが、ここでは記紀記述に「重層記述」が発生する要因と、それらの内容について整理しておこう。

「重層記述」が発生する要因は次の三つである。

(1)「古代倭語」と「上代語」の両立。

(2)「紀伝体」書式による歴時の繰り返し。

(3)諸家の「家記」を類聚編集するという史書の編纂方法。

これらの要因により次の様な「重層記述」が発生する。

①「古代倭語」と「上代語」の両立は、「上代語」の中へ「掛け言葉」のようにして「古代倭語」が仕組まれている。そして「神話」として語られる古代史の「史実」は、「古代倭語」の方に託されているのである。

(史実伝承の為に、『先代旧事本紀』の編纂者達がなぜこのような方法を選択したのかは推測の域を出ない。そこには、歴史事実を曖昧にさせざるを得ない何らかの事情が存在したのであろうか。或は、伝承を容易にするため「神話」という伝承形式を選んだからであろうか。又は、「上代語」が確立された時代にあって、滅びつつあった「古代倭語」に伝承のすべてを託すより、「上代語」による伝承の安定を求めたためであろうか。)

②「同一事件の繰り返し記述」。

「同一事件の繰り返し記述」は、「紀伝体」という史書書式に由来するものと、諸家の「家記」を集めて類聚編集するという史書の編纂方法に起因する場合とがあることは既に述べた。

③「異名同神・人」。

同一の「祖神・人名」にも拘わらず、諸家により別々の呼び名で伝えてきた「家記」伝承を、国史編纂事業では統一せずに、「家記」伝承のままで類聚編集したことにより「異名同神・人」が発生することになった。しかし、国史の根底にはすべての「神・人名」が統一された「神系図」が存在する。(拙論ではこれを「基本神名」「基本系図」と呼ぶ。)この統一された「神・人名」による「神系図」を確定することにより、史実の古代史の概要を知ることが出来るようになる。

④「地名の重層構造」。

史書の編纂方法が諸家の「家記」を編集したものであるなら、「異名同神・人」と同様の理由により、地名にも「重層記述」の発生が想定される。(そもそも「神名」とは、本来「地名」に因むものであるから当然と云える。)事実、史書に記述された地名は、物語毎の「異地名重複」を確認できるものが多々存在する。しかし、国史の「地名の重層構造」というのは、このような物語毎の重複と云う局所的なものに止まらず、王権の伸張に伴った「大和王権発祥の地」と「大和王権完成の地」と云う壮大な「地名の重層構造」として仕組まれていることを、史書の解読が進めばいずれ知ることになるであろう。

 国史の記述と云うのは、以上に述べたような複雑な「重層構造」として組み立てられている。従って、従来のような「編年体的」解釈では史実を解明することは出来ないのである。このような国史の記述から史実を解明するためには、一度「重層構造」をバラバラに分解し、それぞれの物語の意味や歴時を検証すると云う作業が必要となる。その上で、それぞれの物語を絶対年代に対して配列することが出来れば、始めて「史実」は姿を現すことになるのである。

 

このような史書記述の「重層構造」発見の端緒を与えてくれたもの、それが冒頭で掲げた『まぼろしの邪馬台国』の示唆であった。そして、その「重層構造」の研究を進めた結果、古代史書の形式や編纂方法が解明され、「重層構造」が発生する要因も明確にすることが出来た。ここに『まぼろしの邪馬台国』の説の正しさは証明することが出来たのである。

宮崎氏の慧眼には只々感服するばかりである。


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