『古事記』成立の三段階

古事記の撰録者太安萬呂の墓から見つかった銅板製の墓誌

『古事記』はその序文に拠れば、「太朝臣安萬侶」が筆録し、奈良時代の和銅五年に献上したものである。しかし、『古事記』の文章は『先代旧事本紀』の編纂に利用されている。このことに気付いた江戸時代の学者達は、推古天皇時代に『古事記』が存在するはずはないとして、『先代旧事本紀』偽書説を成立させてしまった。けれども『先代旧事本紀』に『古事記』の文章があるということは、『先代旧事本紀』が編纂された推古天皇時代には『古事記』が既に存在していたのである。 但し、推古天皇時代に存在していた『古事記』は、「安萬侶」が筆録した現在の『古事記』ではなく、原『古事記』とでもいうべき書物であったらしい。

 『大倭神社注進状』裏書所収の『齋部氏家牒』に次の記述がある。

「天渟中原天皇(天武天皇)御世。(中略)齋部連首・中臣大島連等勅ヲ奉シ、稗田阿禮語ル所之古事ヲ撰録ス。今ノ古事記是也。」

 この文の「天渟中原天皇(天武天皇)御世」の事業とは、前項で示した『日本書紀』天武天皇十年三月条の事業であろう。そこには、この文と同じ「忌部連首」と「中臣連大嶋」の名前が見える。

 『齋部氏家牒』の文で問題となるのは、最後の「今ノ古事記是也。」である。『古事記』序文に拠れば、『古事記』の成立は和銅年間だから、天武天皇十年に『古事記』は存在しないはずである。従って、従来の考え方からすれば『齋部氏家牒』も偽作だと云うことになる。

 『齋部氏家牒』には「稗田阿禮語ル所之古事ヲ撰録ス。」とある。『古事記』序文には、「阿禮に勅語して帝皇日継及び先代舊辭を誦み習はしめたまひき。」とあるから、天武天皇十年には、阿禮による「勅語舊辭」の誦習は完了していたのである。「稗田阿禮語ル所之古事ヲ撰録ス。」とは当然、安萬侶により筆録された書物としての『古事記』ではなく、阿禮の誦習段階のものであろう。従って「今ノ古事記是也。」は、「後に書物化された、今ノ『古事記』に当たるもの是也。」と解さなければならないのである。

 このように『先代旧事本紀』『齋部氏家牒』『古事記』序文を総合して判断すれば、『古事記』は現在の『古事記』に至るまでに、三つの段階があったことが分る。

 一段目は、原『古事記』とでもいうべき段階である。それは恐らく天皇家に伝承されてきた「家記」であった。この「家記」は『先代旧事本紀』の編纂に当たり、古代氏族諸家伝承の「家記」と同様に提出され、『先代旧事本紀』の編纂に利用されたのである。従来から『先代旧事本紀』の中にある『古事記』の文章と目されたものがこれに当たる。原『古事記』は「太朝臣安萬侶」の序文からも書物であったことを窺うことが出来る。

 二段目は、天武天皇の詔により、稗田阿禮が誦習した「勅語舊辭」の段階である。原『古事記』は、天皇家の「家記」と云えども、古代氏族の中の「天皇家」という一氏族の「家記」であるから、当初は恐らく、現『古事記』よりかなり簡素なものであったと推測される。しかし、『先代旧事本紀』が編纂され、天皇家を最高統治者とする日本国の歴史が定められたからには、最高統治者天皇家の「家記」は、その勅撰国史に比肩する内容を求められることになったのであう。『古事記』序文に云う天武天皇の「阿禮に勅語して帝皇日継及び先代舊辭を誦み習はしめたまひき。」は、この「家記」(原『古事記』)の改定作業だったのである。(序文の「先代舊辭」が『先代旧事本紀』そのものであったことは、『弘仁私記』序に述べられている。)

 こうして阿禮により誦習された「勅語舊辭」は、『齋部氏家牒』に拠れば、先ず『日本書紀』の編纂事業に利用されたのであるが、天武天皇の薨去により、天皇家の「家記」としては書物化されることなく奈良時代を待たなければならなかった。『古事記』序には「然れども、(とき)移り世(かは)りて、未だ其の事を行ひたまはざりき。」とある。

 三段目は、現在の我々が知る『古事記』、即ち現『古事記』である。現『古事記』撰録の状況は『古事記』序により知られる。それに拠れば、元明天皇は「和銅四年九月十八日を以ちて、臣安萬侶に詔りして、稗田阿禮の誦む所の勅語の舊辭を撰録して獻上せしむ」とある。阿禮は『古事記』獻上のため、天武天皇十年の『日本書紀』編纂事業に続き、再び「勅語舊辭」の口誦を行ったのである。そしてそれは安萬侶の筆録により、和銅五年正月二十八日に現『古事記』として献上された。『古事記』の献上は『日本書紀』撰上の八年前のことであるが、安萬侶は四か月余りで筆録を完了してしまったことになる。

 安萬侶は『古事記』序の中で筆録の方針を述べるが、その最後に「亦、(うぢ)()きて日下を玖沙珂(くさか)と謂ひ、名に於きて帶の字を多羅斯(たらし)と謂ふ、()くの如き(たぐひ)は、(もと)(まにま)に改めず。」とある。「(もと)(まにま)に改めず」は「従来の慣例に従った」とも解せるが、ここは文字づかいについて述べた箇所だから、この「本」は文字通り「ほん」で、参考にした原本が存在したと筆者には思える。それが原『古事記』で、奈良時代までは伝存していた「家記」だったのではなかろうか。

 阿禮の語る口誦の言葉がどのようなものであったのかは、今となっては知ることは出来ない。しかし、口誦の言葉と書物の文章とは別物であり、必ずしも一致していたとは思えない。特に阿禮の口誦は天武天皇の「勅語舊辭」である。しかし、現『古事記』の文章は『先代旧事本紀』に採用された原『古事記』の文章とほぼ一致している。それは安萬侶が文体や文字づかいを、原『古事記』を尊重して筆録したことを意味しよう。即ち、安萬侶は阿禮の口誦だけではなく、原『古事記』を参考にして筆録を行ったことが窺えるのである。又、現『古事記』と云う書物の分量と、四か月余りと云う筆録期間を対比してみた場合でも、必ずや参考となる「書物」が存在したと思わざるを得ないのである。

 以上古文献を検証し、現『古事記』成立に至る過程をたどってみた。要するに、『先代旧事本紀』にしろ『齋部氏家牒』にしろ、従来偽書説に晒されてきた古文献も、その内容を正しく検証・評価してやれば、古文献には決して偽りは書かれていないことを証明できるということを云いたいのである。

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