古代の史書の編纂法

       「古語拾遺」 大同2年(807年)  齋部広成により編纂 全1巻


 現代に出版される歴史書は、執筆者として一人ないしは複数人の研究者の方がおられて
その執筆者の研究成果が書き下ろされ出版される場合が多いようである。
しかし、古代の史書はそれとはまったく異なる方法で編纂されたのである。

 『大倭神社注進状』裏書の「齋部氏家牒」は最後に次の様に記す。

「豊御食炊屋姫天皇(推古天皇)御世、豊聡耳太子(聖徳太子)・曾我馬子大臣に(みことのり)して
先代旧事本紀を撰ばせし時、玉櫛命九世孫子麻呂(みことのり)()け、家記・祝詞等を(たてまつ)る」。

 即ち、『先代旧事本紀』の編纂に際して「齋部氏」に伝承されてきた「家記・祝詞」等が
献上されたと云うのである。この「齋部氏」の「家記」は、後に『古語拾遺』・『齋部氏家牒』として
知られるようになる文献の原本であろうが、この「齋部氏家牒」の記述が真実を伝えることは、
『先代旧事本紀(神祇本紀)』に「家記」(従来『古語拾遺』の引用と考えられたもの)が
引用されていることにより証明される。

 「先代旧事本紀偽書説」の中には、「『古事記』や『古語拾遺』が引用されている」ことを
指摘する説がある。確かに現『古事記』や『古語拾遺』の成立は『先代旧事本紀』より後である。
しかし、『先代旧事本紀』は『古語拾遺』そのものを引用したのではなく、『古語拾遺』の
基になった「齋部氏」の「家記」により撰録されたものと考えなければならない。

 『古事記』の引用文も同様で、原『古事記』とでも云うべき天皇家の「家記」が用いられたものと
推察される。(『古事記』の成立過程は別に述べる。)また、「津守連」氏に伝わる
『住吉大社神代記』の引用も随所に見られるが、これも『住吉大社神代記』の基になった「家記」が
撰録されたものであろう。

 現状で出典を確認できる「家記」はこれぐらいであるが、それらの引用状況を見ると、
「家記」の文章がほぼそっくりそのまま活用され撰録されていることが分る。
これが日本の古代史書の編纂方法だったのである。

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