古代史と神社(1)

神社とは何か

 従来、神社が歴史研究の重要な要素として、論じられることはほとんど無かった。戦後、神社は国家管理から解放されたのであるが、大多数の神社は宗教法人組織と位置付けられ、「神道」という宗教を行う団体と規定されることになった。そのため、神社はことさら神威や神秘性を売り物にするようになり、戦前とは別の意味で歴史研究が介入しにくい雰囲気にある。

しかし、神社はその研究を欠いたままでは、古代史研究が成立し得ない程重要な位置を占めている存在であることに気付くべきであろう。

 日本の国には、全国津々浦々に大小の神社が祀られているが、その総数がどれ程あるのか想像もつかない。そのような国に暮らすわけだから、日本人は一生の内には、必ず何らかの形で神社と係わっていると云ってよい。

それは新しい命がまだ母の胎内に宿っているときの「帯祝い」から始まる。そして誕生後間もない「お宮参り」から「七五三」「成人式」「縁結び」「婚礼」「厄払い」「葬儀」まで、生涯は神社と共にある。又、「安全祈願・豊作祈願・合格祈願」等々、神社は願い事は何でも引き受けてくれる。このように現代日本人にとっても、生涯神社と係わりながら暮らすという極身近な存在であるにもかかわらず、さて「神社とは何か」と尋ねても、どこからも納得のいく説明が得られないと云う不思議な存在でもある。説明不能と云う屈折した神社の正体は、その裏に二千年に及ぶ神社の歴史が、決して平坦なものばかりではなかったことを物語っていると思わせる。

 今日の神社と人々の付き合いは、先に述べたように、主として神社対個人の祈願と云う関係になっているが、昔の神社は別の意味で人々にとって重要な存在であった。古来より村々には必ず鎮守の社があり、祭礼は村人全員が共同で奉仕する習わしであった。神社は村人共有の精神的拠り所であり、村落という共同体の絆を結ぶ支柱であったと云える。なぜ神社はこのように人々を引き付ける機能を持ち得たのか、その答えは恐らく、この不可思議な神社の正体の中に潜んでいるはずである。

 神社には「神」が祀られているのであるが、神社が本来祀る「神」とは、人々に御利益を与えたり、願い事を叶えたりするような観念的な神ではない。又、神社の中には、御神体を山岳としたり、巨石・巨木などを祀る場合があり、水神・風神・雷神・海神等が祀られる場合もある。このような自然神が、「祭神」と呼ばれる記紀に登場する神々と神社の中で複合して祀られているが、この両者はその起源をまったく異にするものである。自然神の中には、目に見えない神の憑代として定められたものもあろうが、自然神の祭祀は、本来の神社の意義が失われた後に、「神道」の神として加えられたものもある。即ち、神社が「神道」などの宗教施設とされるのは後の時代のことである。

本来の神社の祭神は、必ず固有の神名を持つ。そしてそれは、すべて記紀に登場する神々である。この全く同形の神社が日本全国津々浦々、山深い渓谷の奥の村々にまで存在するのである。これら無数の神社が、なぜこのように日本の隅々にまで祀られるようになったのか、その成立意義がどこにあり、またこれらの神社に祀られた神々の神名が意味するものは何であったのか、というような神社に関する基本的な問題は、従来必ずしも明確にされて来たとは云い難い。

しかし、神社の祭神名が多くの場合、記紀神話に登場する神々である、という視点から神社を捉えてみるなら、神社成立の意義は記紀成立の意義と関連を持つと考えられ、記紀が規定しようとした国土統一や国家統治の問題と、直接的に結びつくものであろうと推察される。

もしそうであるなら、各地の中心地を占めて、古い時代から鎮座している神社の祭神とは、かつてその土地を領有していた古代氏族の祖先たちが、「神」の称号を与えられて祀られたものであったということになるであろう。

神社が本来祀る「神」は、決して所謂自然神などではないのである。又、万物をを創造したり、霊威をもって君臨したりするような万能の神でも、教化を行うような、宗教の対象となる神でもない。神社に祀られている「神」とは、氏族という血統が未来に向かって続いて行くための、起点となる祖先のことである。従って、生命と云うものを、発生の起源から現在を経て、未来へと続いて行く一本の道(血統)と考えるとき、現在以前の過去の部分のすべての命を凝縮して内蔵しているものが、神社の姿であると云えるであろう。

ここまで解ければ、神社に祀られている神々が記紀神話の神々と同一神であるということは、記紀神話の物語も空想や観念的な創作による神の国の物語ではなく、古代の生きた人間の歴史に「神話」の称号が与えられたものであろうと云う結論に到達せざるを得ないのである。

このように、神社とは、古代氏族の祖神を祀るための祖廟であった。従って、始めは古代氏族がそれぞれに、自氏の祖廟を神社として創建し祭祀していたのである。

しかし、時が移り律令制の時代になると、それまで封建的領主であった古代氏族は、律令制の官職に組み込まれることになった。そして、それまで私的に祭祀されていた古代氏族の祖廟も、官社として祭祀されることになる。それが『延喜式』の「神名帳」に記載された、東北地方から九州地方まで二千八百六十一社、三千一百三十二座の神名であることになろう。私から公に移されたとしても、神社はこの時点までは、取りあえずは保護者がいたわけである。

しかし、律令制の崩壊による古代氏族の衰退後は、神社は保護者を失うことになってしまった。それにより、神社の苦難の道のりが始まったと云える。即ち、保護者を失った神社は、自らの力で生き延びる方策を考え出さなければならなかったのである。そこで考え出された方策が神社の宗教化(神道)だったのであろう。自然神を取り込んでその威力を神格化したり、神宮寺を利用して仏教を取り込んだりする道を選ばざるを得なかったのである。

このようにして、神社は長い歳月の間に、本来の意義(古代氏族の祖神祭祀)が失われてしまった。それ故に、神社が古代史解明の舞台に据えられることもなくなったのである。しかし、神社本来の意義を明らかにすれば、神社名・祭神名や、各神社に伝えられた古縁起などは、記紀記述を補完するものであったり、古代史に新たな史料を提供し、記紀の欠落部を補充したりするものであることが分る。このことは、神社の本来の祭神が記紀記載の神々であることを考えれば、当然の結果といえよう。従って、神社に関する情報は、古代史解明の史料として、今後もっと積極的に活用されるべきものであろう。

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