改定版史書「日本書紀」

改定版史書『日本書紀』

 『先代旧事本紀』のおよそ百年後に撰上された勅撰史書が『日本書紀』である。
『日本書紀』では『先代旧事本紀』が大幅に改定・増補された。

『先代旧事本紀』撰上以後の百年間は、それまで行われてきた氏族制的統治を中央集権的な律令制に
変えることを企て、その確立に心血を注いだ大きな変革の時代であった。国史もすでに発布された
律令に見合うものに改定する必要があったのであろう。

 しかし、国家の統治体制が変化しようと過去の歴史が変わるわけではない。従ってこの二つの
史書は、基本的には全く同一の歴史が記述されているのである。例えば『日本書紀』では百年後の
時代に合わなくなった記事が削除されたり新たな記事の増補はあったが、それを除けば物語・事蹟の
配列順序は『先代旧事本紀』と変化はない。

しかし史書の構成上では、『先代旧事本紀』が「本紀」の集合体として構成していたものを、
『日本書紀』では「本紀」の枠を取り外し一連の歴時記述(編年体)のような体裁に変更して
しまった。けれども「本紀」という枠は取り外したが、物語・事蹟の記載順序を変更したわけでは
ないから中身は依然として「紀伝体」のままなのである。先に述べたように、一つの歴史を「紀伝体」と
「編年体」とで記述したなら、事蹟の配列順序が同じになることはない。
要するに『先代旧事本紀』が「紀伝体」の史書であるなら『日本書紀』も「紀伝体」史書として
理解しなければならなかったのである。

見せかけの「記紀紀年」

 「本紀」の枠が取り払われた『日本書紀』は、一見「編年体」の体裁を装うことになった。
それには「神武天皇」以降に降られた「紀年」が、強く「編年体」を主張したことが見逃せない。
それにより『先代旧事本紀』を偽書扱いしその研究を放棄した学者たちは、装われた編年に
目を奪われ『日本書紀』を「編年体」史書と判断して解読を試みる過ちを犯すことになる。

 ところが現代の実証的な検証は『日本書紀』に降られた「紀年」が史実とはかけ離れたものである
ことを見抜いてしまった。以来、日本の古代史は途方に暮れることになり、未だに史実の古代史像を
提示することが出来ない事態に陥るのである。

 ところで『日本書紀』の「紀年」というものも、実は既に『先代旧事本紀』に設定されていたものを
そのまま受け継いだに過ぎない。「紀年」は確かに歴時の編年であるから、その意味では「編年体」と
云い得る。そうであるなら『先代旧事本紀』を「紀伝体」形式の史書と主張することは誤りで
あろうか。否、『先代旧事本紀』は書名が示すように、絶対に「紀伝体」形式の史書である。

 それでは『先代旧事本紀』の「紀年」とは何なのか。
それは史実歴年ではなく見せかけの編年なのである。言い換えれば「紀伝体」的な編年とでも
云えようか。『先代旧事本紀』の編纂者達がなぜそのような仕掛けを考えたのかはいろいろな推測が
可能であろうが、それはともかく、この「紀年」は「紀伝体」の『先代旧事本紀』に既に降られているのだから、この「紀年」も「紀伝体」として解読しなければならないと云うことである。
即ち、「記紀紀年」の解読には「紀伝体」の意識が必要なのであり、その意識転換ができれば必ず
史実歴年が得られるはずである。

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