本居宣長の誤訓

 津田説の誤謬は、本を糺せば本居宣長の誤訓に始まるものかも知れない。

本居 宣長 (1730-1801)

 『古事記』序に「(われ)聞く、諸家の(もた)る帝紀及び本辞、既に正実に(たが)ひ、多く虚偽を加ふと。」とある。
この読み下し文は、岩波書店出版の「日本古典文学大系」の『古事記』(倉野憲司校注)に拠るが、
そこではこのように「賷」字に「もたる」と振り仮名をする。

本居宣長    古事記傳一之巻 自筆再稿本
本居宣長    古事記傳二之巻 自筆再稿本

 
 「賷」字を「もたる」と読む例は、既に本居宣長の『古事記伝』二之巻「古事記上巻并序」にあり、そこでは「(モタル)」と訓註される。それ以来、現代の代表的訓本「新訂増補国史大系」本・「古事記総索引」本・上掲の「日本古典文学大系」本等々いずれも「モタル」の訓に従っている。(「古事記総索引」本は他に「ツツム」「モテル」の異訓を併記する。)

 しかし、実はこの「賷」字の訓こそが(従来論じられることが無かったが)、「帝紀」「旧辞」が朝廷の
編纂文書であったのか、あるいは諸家の伝承文書であったのかを決定づける分岐点を提示しているのである。

 「モタル」と云う言葉は、「古事記総索引」本の異訓に「モテル」とあるように「持たり」(「持てり」が変化した語)の連体形で、「持っている・所持している」と云う意味である。従って「諸家の(もた)る帝紀及び本辞」は、従来は「諸家の所持している帝紀及び本辞」と解されてきたことになる。

 事実、坂本太郎氏の『日本古代史の基礎的研究』(上・文献篇)の「古事記の成立」では、「二、帝紀と旧辞」項で「帝紀は本辞とともに諸家の所持するものであったこと」。「四、天武朝の修史」項で「天武天皇は諸家のもつ帝紀・旧辞が正実に違い云々」と述べている。また「日本古典文学大系」の解説にも「諸氏に属する家々に持っている帝紀と本辞」とある。

 しかし「賷」字を「モタル」と訓むのは、本居宣長の誤訓である。
「賷」という文字について『古事記伝』は「モタル」と訓みながら、「賷は齎の俗字なりと云り」とある。
『漢和大字典(藤堂明保編)』に拠れば(『漢和大字典』に「賷」字は不載。『大漢和辞典(諸橋轍次著)』に「齎に同じ。」とある)、「齎」項の意味に「もたらす。もってきて、またはもっていって人に与える。
そろえてさし出す。」とある。そうであるなら、「賷」は「モタル」ではなく「モタラス」と訓まなければならなかったのである。

従って、「賷(モタラス)」は「他所から持ってくる」意味であるから、『古事記』序の文意は「朝廷にもたらされたもの」、即ち「帝紀・旧辞は諸家において作成伝承されてきた文書であるが、朝廷の国史編纂事業に際して諸家より提出されたもの」であったことになり、津田説は百八十度の転換を求められることになる。

津田氏もその論文の中で「賷」字に触れた箇所がある。しかしそれは「賷」の語意を云々するものではなく、『古事記』序文に「所賷」と書かれた言葉を、「帝紀・旧辞」が口伝ではなく文書として存在した証拠として
利用するものである。しかしその用法からは、「賷」を「もたらす」意味に用いているとは解せないから、
津田氏も「賷」字を「持っている」と解釈していたのである。

 このような本居宣長の誤訓を糺せなかった結果が、津田説により増幅され全面的に覆い被せられて
いるのが現状の古代史学説であると云わざるを得ない。

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