津田学説の誤謬

 先ず「帝紀」「旧辞」と云う書名の問題であるが、『古事記』序の「本辞」「旧辞」「先代旧辞」「勅語旧辞」等の言葉を一(くく)りとするのは、いかにも雑駁なやり方と思わずにはいられない。なぜなら、確かに「同類」と云えば云えないこともないのであるが、しかしこれらの言葉の中には総称としては扱うことの出来ない固有書名が含まれているからである。

         日本書紀私記(甲本) 弘仁私記序より

 
 例えば、平安時代に行われた『日本書紀』の講書を記録したものに、複数の『日本書紀私記』が残されている。そのうちの、『弘仁私記』序の『古事記』編纂の次第を述べた(くだり)には、「天皇、阿禮に(みことのり)し、帝王本紀及び先代旧事を(なら)使()む」とあるが、その「先代旧事」と云う言葉にわざわざ細註を施し、所謂『先代旧事本紀』の編纂次第が述べられている。(その文章は『先代旧事本紀』序に基づき作成されているが、)その細註の最後に「これを旧事と謂う」とあり、『古事記』序の「先代旧辞」は所謂『先代旧事本紀』を指すと云う認識を示す。(「旧事」と「旧辞」は、文字は異なるが共に「ふること」と訓まれる同義の言葉。)もし『古事記』序の「先代旧辞」が所謂『先代旧事本紀』ではないのなら、『弘仁私記』序がわざわざ註を施す必要はないわけだから、『古事記』序の「先代旧辞」は明らかに『先代旧事本紀』という固有書名を指していることになる。

また「勅語旧辞」も、天武天皇の勅語により稗田阿禮が誦習した『古事記』の元になった「旧辞」であるから、総称として括れるような性質のものではない。

(津田氏はこの「勅語旧辞」という言葉を、「勅語」と「旧辞」の二つの言葉と考えて、「勅語」は「帝紀」の誤写かと述べるが、「勅語旧辞」は「天皇の勅により定められた旧辞」を意味する熟語と考えるべきで、それを分割してはならない。熟語を分割せざるを得なかったのは、津田説の誤認の歪がここに現れた故であろうが、それはまた『古事記』という書物についての認識不足を露呈したものでもある。『古事記』の性格についてはいずれ別に述べる。)

「帝紀」に関して言えば、「帝皇日継」を文字面から「皇室の系図や歴代の皇位継承に関する記録」と考えるのはやむを得ないとしても、それを「帝紀」そのものとする説は受け入れがたい。そもそも「帝紀」とは、中国の「紀伝体」史書の区分名である「帝紀」に由来する言葉とすべきだからである。中国史書における「帝紀」は帝王の一代記であり(『弘仁私記』序は『帝王本紀』と書く)、そこには「系図や皇位継承に関する記録」ばかりではなく帝王の事蹟(津田説が「旧辞」と判定した部分)もすべて含まれているものだからである。

(「帝紀」と云う言葉が中国史書由来であることは、津田氏自身も認識していたのであるから、それでもあえて「系図や皇位継承に関する記録」に限定するこの説は、やはり「自説のための強弁」との謗りは免れないであろう。)

 「帝紀」「旧辞」を「朝廷で編述されたもの」に限定する考えも明らかな誤りであろう。それは『古事記』の場合もその序に「撰録」とあるように、日本の国史編纂の例に漏れず諸家の「家記」から撰録されたものであることを伝えるからである。古代史書の編纂方法が古代氏族諸家伝来の「家記」による類聚方式であったことは、先に述べたようにそれらの「家記」自身に述べられているものである。そうであるなら、『古事記』序の云う「帝紀」「旧辞」とは、『先代旧事本紀』編纂時に提出された「齋部氏」の「家記」と同類のものも含まれていることになろう。

それよりも、津田氏の想定した「朝廷で編述された」文書などはそもそも存在しなかったのではなかろうか。もしそのような「朝廷編述文書」が存在したのなら、その文書の痕跡はなんらかの形で後世に伝えられたはずであろう。『先代旧事本紀』の編纂資料さえも『古事記』『古語拾遺』『住吉大社神代記』として現代でも確認することが出来る。しかし、津田氏の想定した記紀編纂のための「朝廷編述文書」は現在その存在を確認出来ないし、また過去に於いてもそのような文書に言及した古文献を筆者は知らない。津田氏はこの「朝廷編述文書」を『日本書記』の「一書曰」に当てるが、津田氏が云うようにもし「朝廷編述文書」が諸家に転写されていたと仮定しても、『古語拾遺』や『住吉大社神代記』を、元は一つであった「朝廷編述文書」の異本とは到底解することは出来ないであろう。それとも、これらの文書(「一書」)は、史書編纂と云う目的を達成し終えたから焚書にされたとでもいうのであろうか。

(『新撰姓氏録』は記載する氏族を「皇別」と「神別」に分類する。「皇別」とは天皇を祖先に持つ氏族であり、「神別」は神代の神々を祖先に持つ氏族である。「帝紀」とは、恐らくこの「皇別」氏族の「家記」であり、「旧辞」は「神別」氏族の「家記」だったのではなかろうか。拙論では以後「帝紀」「旧辞」と云う言葉を用いる場合は、「皇別」「神別」の「家記」の意味として使用する。)

 実証的文献批判を標榜する説と云ったところで、記紀だけをいくらいじくりまわしてみても史実の古代史に迫ることは出来ない。日本の古代史書の場合には、そこに仕組まれた様々な仕掛け(例えば「紀伝体」書式とか、「記紀紀年」の仕組みとか、「異名同神・人」の統一等々)の解明が必要となる。そのためには記紀偏重主義から脱却し、歴史に係わる広範囲な分野の古文献の活用が不可欠なのである。

 津田氏が「家記」や「神社縁起」や「古代氏族系図」のような、諸家の伝承文書にどれほど精通していたかは知らないが、あるいは権威学者にありがちな記紀偏重主義と、それ以外の古文献は軽視・無視する習性がなかったかどうか。筆者の体験では、古文献に(例えそれが民間の俗伝や神社伝承のようなものであっても)造作は絶対に存在しない。なぜなら、歴史に関する古文献とは諸氏族の生存が係った命がけの文章だからである。(古文献に疑問や矛盾を感じるとすれば、それは古文献に問題があるのではなく、文献を扱う側に問題が存在するのである。)

 いずれにしても、津田説というものも結局は江戸時代国学以来の、例えば『先代旧事本紀』偽書説に象徴されるような、記紀以外の古文献を軽視し続ける偏狭な学説の延長線上に依拠するものなのである。

コメント

タイトルとURLをコピーしました